
まったく忌々しい。蝉の死骸を拾って歩き、庭へ埋めて水をやった。
侘しく、誰にも胸の内を打ち明けることが出来ない季節。
乾いた風が孤独を残して強く吹いている。
空を仰いでも雲しか見えないし、蚊の鳴くような声で、もうおしまいだと呟くことしか出来ない。
嗚呼。僕は遂にこの夏すべてをアルコールへ売り渡してしまった。
街はいつの間にか薄い衣を羽織って、青色の果実は全て薄紅色へと変わってしまった。
人々は解熱をしながら燃え滓の 中で淡々としている。
何もかもが過剰なまでの熱膨張でぶっ壊れているように見えるんだ。
ねえ、そこの君、煙草を頂戴。
君は僕が一体どこで生まれたとか、好きなポケモンはなんだったとか、
デイヴィッド・コパフィールド式に話を進めた後に僕という僕を解き明かし、それを見せ物にしようとしている。
でも、ここに来るのが遅すぎたね。
もう僕に思い出はないよ。
ずっと前に失くしてしまったから。
だって考えてみてくれよ。
君の人生は有限で、すべてを試みるには短すぎる。
自分の触手を地の果てまで張り巡らせるには時間が足らなすぎる。
人間の時間が何に対しても絶対的なもので、その人生も伸縮しないことは 客観的事実だ。
それに、もしもこの世界が永遠に午前七時三十七分ならば、君は学校や会社へ行くため布団から出るだろうか。
明日やろう、明日という考え方も消滅するかもしれないけど、明日やろうの連続でいつか何もせず、何者にも興味を示さず、
単にぼんやりと生きるんじゃないかな。
ねえ、何か言いなよ。
思うに、人間は物理的な制限があるからこそ、人生が有限であるからこそ他者と差別化されるんだ。
つまり制約の中での選択の連続が個人の自我となる。
無限からの招待は個人の消滅に続いていると思うし、個人という存在が消滅するとその集合である社会という観念も消える。
全て溶け合って何もなくなり、それが永久に繰り返されるんだ。
君にも聞こえるかな。もう何回目のことだろう。
大嵐を告げる鐘と共にパレードが始まるよ。
先陣を切る富士の山を彷彿とさせるような巨大な山車には関羽像が祀られていて、無数の提灯が巻き付けられた二頭の象がそれを牽引するんだ。
山車の周りには髷を結っている和装した男や十二単姿の女とか、まるで日本画から飛び出したような装束をした人たちが先頭にいて、
そのすぐ後ろに十字軍のヘルムやチャイナドレスが見えるよ。
頭にターバンを巻いた男が空飛ぶ絨毯の上から君に微笑むはずだ。
気になるなら見てくれば?僕はここにいるよ。
ずっと南へ歩き続ければ、君は世界をひと周りして北からここへ戻って来る。
その時、僕はまだここにいるのかな。
仮に僕が死んでも身体中の細胞が摩擦を起こして永遠に生きている。
だけど僕には体がなくて、君には影がない。
でも、結局はこの瞬間を何回だって経験したいと強く思うんだ。
これまで見てきた全てのものを 愛し、千年の世界を超えてもう一度君に会いに行く。
僕は僕を何度繰り返しても僕をやり直す。内側から漲る力は僕を最高の希望へ近づけるんだ。
この声が君にも聞こえるかな。
なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵もまたなんじを見入るのである、ってね。
もう何回目のことだろう。
2020 VR,詩